2005年3月の自分。

もう早いもので7年半前の自分が書いた文章です。

初心に戻ろうとふと思い、当時の写真と文章を再掲載してみる事にしました。今の自分とギャップがある文体だけど、それも当時っぽくて良いかも(笑)。

ロッテルダム音楽院の学生だった自分。この2年後に卒業するのですが、当時はベンジャミンハーマン氏のレッスンを取ってる時だったかな。学生まっただ中という感じです。もし良かったら読んでみて下さいね♪ 最後の「リーダー」というのは当時の自分の呼称です(笑)。

石川周之介




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記憶:
「音楽をしていると楽しいでしょう?」とか「好きなことができて幸せだ」といわれたことが少なからず今までにある。これは音楽をやってるひとには経験あることではないかな。

楽しむため、憧れで始めた音楽が、はまるにつれて楽しみではなく、義務、競争、強迫観念、嫉妬心、自己嫌悪などに支配されて路頭に迷うことがある。世界は広い、自分より上手な人や才能がある人は無数にいる。失敗する自分。いつまでも超えられない壁、でもその壁に挑むことに疲れた自分。自分と同じところにいた人たちが、どんどん自分より先に進んでしまう。時間に比例してその距離が広がる。

自分が不得意な部分を得意とするプレーヤーに嫉妬したり。「自分はなんのために音楽をしてるのか?」と考え込んだり、「もっと有用なことをしたほうがいいな」と逃げてみたり。「でも自分はできるはずだ」というエゴが抜けない自分もいたり・・・etc

過去:今思うと恥ずかしいのだが、なんか偉そうに語ってたり、間違えたことしてるのにそれを認められなくて意地張ったりしていたことが多々あった。いまでも少なからずそういうところはあるんだろうな。過去の記憶のなかにはトラウマと言われるものもある。時間が経過したことによって少しずつ、それとも対面できるようなってきたけど、やはり人にその部分を触れられるのはまだ嫌なんだと思う。

今日、一緒に練習したミュージシャン(卒業生)とずっとそんな話をしていた。以前から俺は彼が音楽院時代に培ってしまった「心の傷」を察知していた。今まで触れないでいたのだけど、今回ずっと彼とその話をしていた。彼は自分自身のデリケートな部分を探るように俺のしゃべってくれた。彼の過去の話、彼の音楽との接し方を聞いてると「やはり傷は深かったんだな」と思った。音楽によって敗北感を味わったり、音楽が残酷なものになることは音楽をすることで学ぶ。その後どうやって付き合っていくか、これは音楽をするものに与えられた命題かもしれない。しかし一方では、この命題と出会わない人もいるんだろうな。

そこで、冒頭で登場した質問に戻ると、正直なんと答えていいのかわからない。一言では片付けるほど俺は頭が良くないし。この先、どちらの質問の答えも「Yes」だなと思われるような演奏も、「No」と思われる演奏もするだろう。これからも悩みながらやってくつもりです・・・皆様これからもよろしくご教授ご鞭撻お願いします♪         

3月大晴天のロッテルダムにて リーダー

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