9.11を振り返る。

昨日は2005年の自分でしたが、今日はその翌年2006年の時の日記。この頃から今と同じように自分の事は「僕」と書くようになっているんですね(笑)。日付は変わってしまいましたが、11年前の9月11日の事を書いた日記です。

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9.11:

テロのあったとき、僕は学校に向かう途中車を運転していた。ラジオから流れる英語を必死に聴きながら、すべては理解できなかったのだが、理解できなかったのは英語力だけの問題ではなかったはず。あまりに現実離れしたことを伝えているラジオの報道が理解できなかったのだ。 

ニューオリンズ大学音楽科に入学が決まり、まだ学校にも慣れてない学生生活が始まったばかりの9月にテロは起こった。 

学校のクラスルームでは、僕だけがアメリカ人ではなく。僕だけが留学生という状況。 


先生が入ってきて「今日は授業をする気分になれない。今思っていることを君達に伝えようと思う」 

と言いはじめて、授業は当然中止され先生が話始める。 

「これはパールハーバーだ」 

と言われたとき、背筋が凍る思いをした。 

それから3日間くらいは、全米の報道で「真珠湾」という単語が頻発され、僕は身の危険を感じたので3・4間は外に出歩かないようにしていた。 

真珠湾報道はなくなったのだが、その後、テレビ番組の合間のCMで「Stand Up America」とレスキュー隊が必死の救助活動をしてるシーンや、家族を失って泣き叫んでいる方々を映し出す公共CMが必ず差し込まれるようになっていた。 


S t a n d  U p  A m e r i c a 

町は、アメリカの国旗で溢れ 

車にも国旗が飾られ 

中東出身の生徒が暴行にあったり 

ニューオリンズ大学での生活のスタートは本当に大変なものとなった。 

僕にとって9・11はアメリカで体験したものであり、NYにこそいなかったが自分の身の危険を感じたものであった。 

その後11月と翌年4月にNYを訪れました。 

復興の具合は早いのかどうかわからないけど、日常は何事もなかったように動いていて、そのギャップに戸惑ったのを覚えてます。 

俺の住んでいたニューオリンズを襲ったハリケーン、1年後の映像を最近テレビで見て驚愕した。NYの復興とは比較にならないお粗末さ。予想はしていたけど、やはりそうかニューオリンズ。。。 


うまくまとめられませんが、たまには自分のいたアメリカについて書いてみようかと。 


非現実はいきなりやってくる


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2006. 911 ロッテルダムにて。

石川周之介

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